吉村流・地唄舞についてのご紹介


吉村流の歴史

吉村流は、御狂言師とよばれた禁裏(京都御所)の舞指南、山ノ内ふくを流祖とし、京都に興り、洗練された格調高い振付けで名声を博しました。
初世吉村ふじは明治時代に大阪に移り、南地の芦辺踊りなどで活躍しました。二世吉村ゆう、三世吉村雄光は古くからある型物を守りつつ、美しく艶のある舞にも秀でていました。終戦後、四世吉村雄輝が、新派の名女形花柳章太郎師の招きにより東京に進出し、花柳章太郎の勧めもあってこれを機に上方舞という呼称を用いるようになったようです。



四世吉村雄輝は復曲だけでなく、新作を精力的に発表、舞台芸術とての上方舞を全国に拡めることに尽力し、数々の賞に輝きました。
昭和61年に人間国宝、平成9年に文化功労者になっています。
吉村流は、能の仕舞の技法を基礎に、謡、壬生狂言、人形浄瑠璃などの要素も取り入れ、優艶かつ硬質な振付けと緊密な構成を特徴としています。

四世吉村雄輝の下で長らく内弟子として住込み修業した現宗家 吉村輝章により、舞の一挙手一投足、呼吸や目線に至るまで厳格に伝承が守られています。
上方舞 吉村流ホームページ参照)




地唄舞(上方舞)とは

地唄を伴なって舞われる日本の伝統舞踊のひとつです。地唄は日本最古の三味線音楽と言われています。実際には 地唄のみではなく、上方唄、一中節、常磐津、長唄などの音曲も使用されます。江戸時代に、御所・茶屋などの 室内空間で生まれたため、座敷舞ともよばれます。京都で発祥し、京都と大阪を中心に発展しました。

地唄舞は扇子一本のみを用いて、杖や手燭、自然現象に到るまで様々なものを表現します。旋回を中心した動きで、柔らかく、艶のある上品さが特徴です。
演目は能から来た本行物(ほんぎょうもの)、艶物(つやもの)といわれる男女の情愛を扱ったもの、作物(さくもの)といわれる洒脱なものなどがあります。

数ある地唄舞の流派の中でも、吉村流、楳茂都流、山村流、井上流を特に上方四流と称します。
吉村流は御殿舞を始まりとし、柔らかで、艶のある上品さが特徴です。




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